「喫煙権」という主張は認められるのか?
企業が職場の喫煙対策を進めていく際に、喫煙者の従業員から「喫煙者には喫煙権があるのでは。」や、「企業の喫煙対策は、喫煙権の侵害ではないか。」といった意見がでることが時にあるようです。
そもそも「喫煙権」といった権利が法的に認められているのか、また、企業としてどのように説明し理解を求めていくべきか、岡本総合法律事務所の岡本光樹弁護士に伺いました。
目次
・【質問1】「喫煙権」は、法的に認められているのでしょうか?
・【質問2】「喫煙の自由」は、法的にどの程度認められるのでしょうか?
・【質問3】「喫煙の自由」は、「受動喫煙防止」との関係で、どのような位置づけで考えるべきでしょうか?
・【質問4】職場で喫煙者の従業員から「喫煙権」や「喫煙の自由」の主張があった場合、企業として、どのように考えるべきでしょうか?
・【質問5】企業として、喫煙者の労働者に対して、どのように説明し理解を求めていくべきでしょうか?
【質問1】「喫煙権」は、法的に認められているのでしょうか?
結論から言えば、喫煙の権利性といったものは認められているとはいえず、むしろ「喫煙の自由」は、制限に服しやすいものにすぎないと解されています。
まず「喫煙権」という用語は、法律上存在しませんし、また、判例・裁判例において認められたものでもありません。
喫煙の禁止に関して最高裁判所が判断を示したものとして、最高裁昭和45年(1970年)9月16日大法廷判決があり、その分野ではよく知られ、引用されることも多い著名な判決です。
時折、この判決を引用して「喫煙権」「喫煙する権利」が認められている等と述べる意見が散見されます。
しかし、これは2つの点で、判例の読み方を誤っています。
1つ目に、最高裁判決は、「喫煙権」や「喫煙する権利」といった用語は用いておらず、「喫煙の自由」について論じ判断しています。なお、「権利」と「自由」の言葉の意味の違いについては、末尾の表に整理しておきます。
2つ目に、最高裁調査官の解説(ジュリスト469号253頁)によれば、最高裁判決は、「喫煙の自由についても、これを憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとまで断定するものではなく、仮定的説示のうえに立」っているとされています。一審・二審の判決が、「個人の喫煙の自由もまた基本的人権の一として保障されている」と断定していたのに対し、最高裁はこれを断定せず、仮に権利としても制限に服しやすいものにすぎない、と判示したと解されます。
「自由民主党たばこ議員連盟」は、2017年3月7日に「“喫煙を愉しむこと”と“受動喫煙を受けたくないこと”はともに憲法に定める国民の幸福を追求する権利であり、双方の権利は最大限尊重されなければならない」と主張しました。
しかしながら、“喫煙を愉しむこと”を幸福追求権(憲法13条)の一つと断定することは、上記最高裁判例の読み方からすれば、甚だ疑問です。
むしろ憲法学では、「幸福追求権」は、あらゆる生活領域に関する行為の自由を広く内容とする(一般的行為自由説)のではなく、個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする(人格的利益説)と限定的に解する学説が有力です(芦部信喜・高橋和之)。
【質問2】「喫煙の自由」は、法的にどの程度認められるのでしょうか?
質問1の最高裁判決は「煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず、喫煙の禁止は、煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめるとしても、それが人体に直接障害を与えるものではないのであり、かかる観点よりすれば、喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない。」「総合考察すると、前記の喫煙禁止という程度の自由の制限は、必要かつ合理的なものであると解するのが相当であり、・・・憲法13条に違反するものといえないことは明らかである。」と判示しました。
これは、犯罪の容疑により逮捕され、刑務所において9日間の未決勾留を受けた者(受刑者とは異なり、本来無罪の推定を受け、原則として一般市民としての自由を保障されると解されます。)が、その間、喫煙を禁止されたことについて、法律上の根拠がないこと、規則は違憲無効であること等を主張して、国に慰謝料の賠償を求めた事案です。原告及び学者は、喫煙の場所・方法の指定等の制限さえすれば火災は防止し得るとして、一律に禁煙を強要することは違法である旨主張しましたが、判決では認められませんでした。
重要なのは、最高裁が「喫煙の自由」について、制限に服しやすいものにすぎないと判断したと解されることです。
なお、この1970年当時は、「ニコチン依存症」について、まだ十分に認識されていませんでした。その後1987年に米国精神医学会診断基準 DSM-III-Rに「ニコチン依存」が、1992年に国際疾病分類 ICD-10に「タバコ使用による精神および行動の障害」として「依存症候群」が疾病として分類される等、「ニコチン依存症」に関する医学的知見の深化によって、現在では喫煙は依存性薬物の摂取行動と捉えられ、この点からも「喫煙」を「権利」や「自由権」や「幸福追求権に含まれる」等と呼べるかは疑問があります。
また、当時の喫煙禁止の理由は、火災防止や秩序維持に主眼があり、受動喫煙防止はまだ理由にあがっていませんでした。
【質問3】「喫煙の自由」は、「受動喫煙防止」との関係で、どのような位置づけで考えるべきでしょうか?
どのような権利や自由であっても、無制限・無制約に他人の権利や自由を侵害することはできません。
憲法が保障する自由や権利は、「これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とされ(憲法第12条)、「公共の福祉に反しない限り」において認められるものです(同第13条)。この「公共の福祉」とは、他の人権と相互に矛盾・衝突する場合を調整するための原理であると解釈されています(「権利の内在的制約」)。
当然、「喫煙の自由」も、「公共の福祉」による制約を受けます。
質問1に述べた最高裁判決が出された昭和45年(1970年)当時に比べれば、圧倒的なほど、受動喫煙の有害性に関する医学的知見が蓄積し、受動喫煙の有害性が次々と明らかにされています(1981年に日本の国立がんセンターの平山雄 博士により世界で初めて受動喫煙と肺癌の関連を示す疫学コホート研究が発表され、その後世界各地で様々な研究が発表され、2002年に国際がん研究機関IARCが受動喫煙は発がん性があると判定し結論付けました)。
受動喫煙はまさに「他者危害」であり、他人の生命・身体・健康を害することになりますので、「喫煙の自由」は制限される必要があります。非喫煙者が利用する可能性のある場所における喫煙の禁止は、他人の健康を守るために必要かつ合理的な規制として認められますし、むしろ必要なことです。
裏を返して言えば、「非喫煙者の権利」(非喫煙者の吸う空気までは汚さないでくれとの要求)は、「喫煙の自由」の内在的制約を顕在化させたものである(田中謙・関西大学法学論集63巻6号103頁、阿部泰隆・ジュリスト724号40頁)という表裏の関係といえます。
裁判例としては、喫煙者である原告が、被告(JR東日本)の実施した新幹線・特急列車等の全面禁煙措置に対して、差止めを求めた訴訟で、東京地裁平成19年12月21日判決は、「喫煙の自由が人格権に含まれるとしても、本件禁煙措置によって受ける原告の不利益は、・・・生存に不可欠、又は重大な影響を持つものであるとはいえない」「被告は、健康増進法が施行されたことにより受動喫煙対策への努力義務を負ったことや、従前から順次行っていた禁煙対策に対する利用者の意見等を踏まえて本件禁煙措置の実施に至ったこと、被告車両を全面禁煙とすることは受動喫煙対策の観点からは望ましいと考えられること、・・・が認められる。」「本件禁煙措置は、社会的に容認されるものというべきであって、原告の受ける不利益が受忍限度を超えるということはできない。」「喫煙者と禁煙者を不合理に差別するものということはできず、本件禁煙措置には合理性が認められる。」と判示しています。(なお、憲法学上、「人格権」のとらえ方には広狭あります。)
このように、全面禁煙措置は受動喫煙対策の観点から望ましいとされ、他方、「喫煙の自由」に基づく主張は、結論として認められませんでした。
【質問4】職場で喫煙者の従業員から「喫煙権」や「喫煙の自由」の主張があった場合、企業として、どのように考えるべきでしょうか?
抽象的な「権利」や「自由」の主張に振り回されるのではなく、それらの主張が具体的に何を意味しているのか、まずは、請求権的側面と自由権的側面とに分けて考えるのが有効でしょう(元来は、国家に対する概念ですが、ここでは便宜上、私人間の対企業の文脈でこの分類を用いています)。
喫煙者の従業員が、使用者に対して、喫煙場所を供与するよう積極的な作為を求めること、いわゆる喫煙権の「請求権的側面」は、認められません。こうした意味での「喫煙権」は、法的に存しないと、はっきり回答して良いでしょう。
以前の記事『社員に禁煙を強制するのは違法ではないの?』(参照: https://t-pec.jp/work-work/article/222)でも解説しましたが、使用者は、企業秩序定立権限を有し、施設管理権に基づいて、敷地内や建物内の禁煙・喫煙を決定することができます。労働者は、企業秩序遵守義務及び職務専念義務を負っています。使用者が、その敷地内に従業員の喫煙場所を提供するか否かは、使用者の任意の裁量によるものといえます。
喫煙者に認められる余地があるのは、「喫煙の自由」の「自由権的側面」(不干渉・不作為を求める)にとどまります。労働基準法上の「休憩時間」や勤務時間外に、敷地外や使用者が認めた場所において喫煙する自由が認められ、また、使用者が勤務時間中の喫煙を許容していればその範囲でも認められます。
もっとも、上記「権利の内在的制約」に述べたように、他者危害を生じさせない範囲で認められる自由であり、受動喫煙は他者の生命・身体・健康を害することになりますので、受動喫煙を伴うような喫煙は制限されて然るべきです。
「喫煙の自由」と「喫煙禁止」の具体的な線引き、どこまで認められるかの限界については、以前の記事『社員に禁煙を強制するのは違法ではないの?』及び『就業時間外も社員に禁煙を強制できる? ~タバコ休憩、休憩時間中、通勤時間、私生活上の禁煙~』を参照してください。
・『社員に禁煙を強制するのは違法ではないの?』
https://t-pec.jp/work-work/article/222
・『就業時間外も社員に禁煙を強制できる?』
https://t-pec.jp/work-work/article/223
近時は、サードハンドスモーク防止、喫煙後45分間の呼気対策、企業の社会的評価の毀損防止等に基づく、「喫煙の自由」に対する制限・制約も合理性が肯定される傾向にあると考えられます。
【質問5】企業として、喫煙者の労働者に対して、どのように説明し理解を求めていくべきでしょうか?
以上のように、「権限」「権利」「自由」といった文脈で法的観点から言えば、喫煙者の従業員の主張よりも使用者の決定権の方が優位にあります。
とはいえ、無用な争いを避け、また、従業員の士気や勤労意欲を低下させないよう、禁煙サポートを併用したり、従業員の意見を聴取したり、喫煙対策の必要性を丁寧に説明したり、制度変更に十分な周知期間を設けたりするべきでしょう。禁煙サポートについては、以前の記事『企業で取り組む禁煙サポート/禁煙手当を支給する際の留意点は?』を参照してください。
・『企業で取り組む禁煙サポート/禁煙手当を支給する際の留意点は?』
https://t-pec.jp/work-work/article/227
たとえば職場のアンケート調査により、非喫煙者が喫煙者に対して普段どのように思っているかを明らかにし可視化することも、喫煙者に対策の必要性を理解してもらう上で有効な方法といえるでしょう。
まとめ
「喫煙権」という用語は、法律や判例では、認められていません。
「喫煙の自由」は、昭和45年の最高裁判決から、制限に服しやすいものにすぎないと解されます。
受動喫煙の「他者危害」性からして、「喫煙の自由」は、ますます制限される傾向にあります。
職場において、「喫煙権」の「請求権的側面」(労働者が使用者に対して喫煙場所の設置・供与を求める)は、認められません。「喫煙の自由」の「自由権的側面」(労働者が使用者に対して喫煙への不干渉を求める)は、勤務時間外や休憩時間において一定程度認められますが、受動喫煙を伴う場合は、やはり制限される傾向にあります。
表(もしくは解説): 「権利」と「自由」の言葉の意味(一部抜粋。太字は筆者による。)
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岡本総合法律事務所
弁護士 岡本 光樹(おかもと・こうき)先生
2005年東京大学法学部卒業、2006年に弁護士登録。
森・濱田松本法律事務所にて、ファイナンス、M&A、一般企業法務、労働事件等に取り組んだ後、2008年に小笠原国際総合法律事務所に移籍。倒産案件・企業再生案件、会社法訴訟案件、労働法務・労使紛争(使用者側・労働者側いずれも受任。裁判・仮処分・労働審判・あっせん)、労災行政訴訟事件等を多数担当。
2011年9月に岡本総合法律事務所を開業。上場会社の社外監査役、中小企業の顧問等務めつつ、個人の法律相談や訴訟も受任。
2017年7月に東京都議会議員に就任。
公益活動として第二東京弁護士会 人権擁護委員会 副委員長、及び、同委員会 受動喫煙防止部会 部会長を務める。
日本禁煙学会理事。
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※当記事の内容は、弊社運営のWebサイト『禁煙の教科書』に2019年09月10日に掲載された当時のものです。