「ためしてガッテン」仕掛け人、北折Dに聞く! 食えないプレゼン・食いつくプレゼン ②「従来型」な方々の、重大ガタ
健康演出アドバイザー
(元NHK「ためしてガッテン」専任ディレクター)
北折 一
NHKで21年間も続いた人気番組「ためしてガッテン」(その後も「ガッテン!」に変わり継続)の仕掛人・北折一さんが、ついに登場!あの「計るだけダイエット」の開発者でもある北折さんが、「社員さんの健康づくりのためにがんばってるけど、イマイチ響いてないみたい…」という皆さまのお悩みに、ガッツリ向き合って「健康経営」に大切な秘策を教えてくれるシリーズ2回め。引き続きちょい(?)辛口なので、気の弱い方は心してお読みください!
≪目次≫
◆頑張んないで、ガンバン?
◆人は「感」。感こそすべて。
◆この紙の、命って…?
頑張んないで、ガンバン?
前回は、健康づくりに携わる方々のプレゼン(チラシやポスター・通知文・けんぽ便り・健康教室のパワポ、そして保健指導そのもの)は、ほぼ全面的に「イマイチ」か「まったくダメ」だと、きっつい小言から始めました。「健康行動をとってくれない人たち」に対する従来的な手法は、大変残念なことに「準備期」だとか「無関心期」だとかいうおかしなネーミングでひと様を色分けして、「しゃーないじゃん」とあきらめるやり方。違うっつーの!ですね、ぼくから言わせれば。
まあね、確かにごく一部、絶望的に健康に無関心な人はいます。でもそれは、ほんのほんのごく一部。この業界で無関心層とされてる人の大半は、「アンタらのそのやり方には食いつきたくない」だけの人です。面談でさんざん悪態ついて「オレが早死にしようが関係ねえだろ」と保健指導をキョヒる人が、その裏でライ●ップにけっこうな額払って入会したりしますからね。
ダメな理由はひと言でいうならば、「世間の人はどういうものに食いつき、どういうものには食いつかないか」を把握する努力と試行錯誤が足りてないってこと。それに尽きます。そして、健康づくりに従事する人たちが「それをわかろうともしない人たちだらけだったから」というのが、厚労省が「ナッジ、ナッジ」と言い始めた理由です。
健保と違って国保はめちゃシビアな状況です。たとえば自営の40代男性なんて、多くの町で5人に1人しか健診を受けない状況。一番肝心な世代なのにね。じゃ、残り80%は無関心層ってことでしょーか?なワケないですね。
何とかしたいと考えた静岡県の島田市では、特定健診を日曜日にも受けられるようにして、そのお知らせハガキを、まだ来てなかったたくさんの対象者にばらまきました。定員360人のところ、80人しか来ませんでした。次の年は規模縮小を余儀なくされ、定員150人になりましたが、あっという間に300人越え!なぜだと思います?ぼくの研修を受けた人が、ハガキを作り変えたからです。ぼくはハガキの作り方を教えたわけではありません。メッタ斬りにして、「考え方」を変えるように伝えただけです。島田市では今年度(2021年度)は、「3年以上連続未受診者」にターゲットを絞ってハガキを送りました。無関心層の中でも、「岩盤層」とまで言われる人たちですね。さすがに手強いかとも思いましたが、たった10日で軽く定員オーバーでした。ほらね。今までのやり方が悪かっただけだってこと、実証してるでしょ。刺激の仕方を変えたら、食いつかなかった人たちが食いついたということです。それを無関心とか岩盤とか。何様のお誤りなんでしょって感じしょ。
人は「感」。感こそすべて。
じゃその「考え方」ってなんなんだよ、ですね。「自分としてはどこも間違ってはいない」と信じてたものを「めっちゃ間違ってたじゃん」と受け入れるところからしか、スタートはできません。だからこそのメッタ斬りです。
ここから先を読み進めていただくにあたり、特別なツールを進呈しましょう。これから先、一生使える優れて便利な道具。それが「感」です。すなわち、「〇〇感」という接尾語ですね。というのも、人間は情報を受け取る・受け取らないを判断するのに、理路整然と理屈でもって考えて判断するなんてこと、「まったくしないから」です。ほぼ100パー、感情・感覚だけで決めてます。好き嫌いや快・不快、あるいは「ただなんとなく」という、感情・感覚。あなたがどんなに頑張って作成したチラシも、しっかり読んで判断されることは無く、「感」だけで処理される。ほとんどは瞬時に見捨てられ、紙ゴミになるということです(一部の従順な優等生を除きます)。
では、メッタキリオの登場です。常人がどんな「感」を持つかの視点で斬らせていただきます。ついでなので、「感」の使用方法も学んでいただきましょーかね。念押しですが、「まだ習ってない」状態なんで、できてなくて当然ですからね。
まずは、前回ご紹介した①。
まあ、瞬時に「あ、関係ねーな感」でしょうね。あとは「取り過ぎとか、うるせーよ感」。まあそこまで乱暴な感じじゃないとしても、「うーん、きっと『気をつけましょう』的なお説教ばっかりなんだろーな感」とかね。
お断りしておきますが、ぼくは作成者の方は、「きっと気配り上手な、とってもいい人」だと信じています。通常ならもっと上から目線の「魔性の攻撃(●●しましょう)」だらけになりがちなところ、「それはよくない」と考えて、やさしく「ヒントを差し上げますから聞いてくださいね」ですからね。お説教教室にならないよう、「体験コーナー」を設けて、参加者に実感していただけるよう「味覚チェック」もできるように工夫をしています。…なんですけどねえ。多くの社員さんは、その配慮には気づきません。それ以前に感じる「関係ねーな感」の破壊力にやられちゃってますから。なのですでに目にも入らない部分ではありますが、せっかくの機会なので、読んでもらえたとして、細かい部分も斬りますね。
まず、黒い字3行。内容の説明にはなってますが、ひと言たりとも魅力的な文言がありません。
「あ、そー感」程度で済むならまだよいものの、多くの人には「不快感の予感」。楽しく学んでいただきたいという主催者の思いとは裏腹に、「なんかやらされ感」&「下手したら他人の前で味覚オンチと指摘されるんじゃないか感」。で、そう感じさせる一つの要因が「主語がないと締まりが悪いかも」程度の軽い考えでつい書いちゃった、冒頭の「栄養教室では」です。言葉としてはなんら問題ない、自分たちにとってはありふれた日常語でも、相手にとってはうっすらと「なんか指導されちゃいそうなんだよな感」をまぶしちゃうんですよね。似たような気持ちにさせるのが、黄色い四角内の、「セミナー内容」。うっすらと「ガッツリ学ばされそう感」。
そのセミナー内容に目を転じると、やはりよい人らしさがにじんでます。ホント立派です、どこにも糖尿病・高血圧に対する説教に直結する文言が無い。しかも美しいバランスで並んでいますね。でも残念。御社の社員さんで「糖類とは何か」を知りたい人、一人でもいるでしょうか。そして、「社員食堂に貼ってありがちな面白くもない『塩分量の目安』のポスターみたいな話、聞かされそう感」。
結局のところ、「自分が資格を取るために学んできた大量の知識」の中から、「これはシロートさんにも教えておかなければ」という「こちら側の観点」でもってピックアップした内容の押し付けになっちゃうんですよね。そうなっちゃうのはまあやむを得ないとして、「そーゆーことしますからね」と伝えたら相手は食いついてくれるのかくれないのか。その視点が欠けていたのが最大の敗因です。ちなみにぼくの研修では、「『〇〇とは』の文言は基本禁止」と教えています。
あと、ついでなんで言っときますと、「※筆記用具をご持参ください」は、やめた方がいいですね。一撃で「面倒だな感」「学ばされそう感」を与えます。いい大人なんだから、こーゆーのに参加する人の何割かはほっといても持ってくるでしょう。持って来ない人の分は、当日現場で「無い人はお貸ししますよー」で済む話。100人200人単位で集まっちゃうやつは別として、どうせ小人数しか来ない企画では、「絶対書かない」よーにね。(新コロ禍においては、「消毒済」と伝えてくださいね。)
おわかりですね。この手のチラシの最大にして唯一の役割は「来てもらう」ことです。「参加したい感を感じさせるのはそんなに簡単ではない」とすでにわかってるんなら、せめて「参加したくない感」の発生源は「全廃」を目指してください。
この紙の、命って…?
ありゃ。字数をかなり使ってしまいましたね。ほかの2つはあっさり行きましょう。
②については、「糖尿病についてきちんと理解してもらうことで受診勧奨しよう」という方針そのものは、どこも間違っていません。特に上半分は、わかりにくい検査値について、血糖値とHbA1cをわかりやすいようにと組み合わせたグラフを掲載。危険色の赤と注意喚起の黄色、どんな危険があるかを示したイラストも加えてコンパクトにまとめた労作です。
ただ、せっかくの労作も受け取る側からすれば、瞬時に「見る気起こらん感」。コンパクトにまとめたものというのは、見る気が起きた人においてのみ、初めて存在価値が生じるもの。宿命として、「見る気を蹴散らしてしまう効果」をはらんでいることを肝に銘じてください。そして、子どもの時分に「わかりやすさのために」と習ってきたはずですが、残念ながらグラフや表がわかりやすいというのは、単なる幻想だと知ってください。学校では「大事な注意書き」の教育が欠落していたのです。「わかろうという意志を持った人が、どこをどうみればよいのか理解する能力を持っていた場合に限る」という。グラフや表は、逆に多くの大人に「見たくない感」をまき散らすツールになります。
下半分の表に至っては、読んで知ってほしいという思いが1ミリとも感じられず、「なんとなく重要だから載せといた感」すら漂ってますね。さらに細かく言えば意味不明の習性による「1,2」の番号付けも面倒くささを助長してるし、仮にせっかく読んだとしても見出しに掲げられた「境界域から要注意」について示す部分は、無い。
③はただの通知なので、通知さえすれば「私は私の仕事をちゃんとやってます」が成立します。
きっと前任者から引き継いでそのまんま、なのでしょう。これを受け取った人に瞬時に湧く「感」は、大きく2種類にわかれます。
その1「ああ、いつも来るやつね。いらんし感」。その2「げ、何これ?行かなきゃいけないのかな?誰かに聞いてみよっと感」。初めてなのかどーかの差だけですね。そして、行かなくても叱られないと知った人から順次その1に移行します。ちなみにこの会社では、叱られることはなかったそうで、一部の従順な優等生だけしか受診しなかったとのことです。「なんでかねえ、受けといた方が自分のためなのに」とは思うものの「まあでも、そんなもんか」だったってことですね。その気持ちそのものも、前任者から引き継いじゃったんでしょうね。
大事なことを言います。それ、仕事してないってことですよね?作業はしてるけど。②の人は③の人よりもうんと頑張ったとは思いますが、でもそれ作業ですよね?仕事ではなく。皆さんのお仕事は、イコールこのチラシのお仕事は、案内でも通知でもお知らせでもなく、「来てもらうこと」じゃないですか。この紙がこの世に生まれてきた役割、すなわちイノチは「来てもらうこと」、それに尽きるのです。だとするならば、「来たい気持ちにする」ことだけが最重要。知らせることや、ましてお説教なんて目的であってはならない。そんな風に考えを変えないといけないのです。
ということはですよ、「少し手直ししました」程度じゃダメってことなのです。「変わった」ことが一撃で伝わらないと。だって、今まで皆さん自身が教育して来ちゃったんですから。見た瞬間に「行かなくていいやつね」と判断するようにと。だからこそ、「従来型の延長上」で学んでも意味も効果もないってことになるわけですね。ぼくの見た限り、保健の業界では「従来型延長上」で教えているテキストは多いので、注意が必要です。
たとえば、よく言われるのは「タイトルが長いと読まない」とか「字が細かいと読んでもらえない」。そう習ったことがある人も多いでしょう。あれ、大ウソですからね。考えたらわかると思いますが、小学低学年の国語の教科書レベルの物語しか読めない人、いますか? 週刊誌を買わなくなった人でも、眞子様の記事や大谷選手の記事は読むでしょ。試しに「長いタイトル」という言葉で検索してみてください。むしろ最近めちゃ増えてますよね、長いやつ。
簡単な話です。見たい感・知りたい感があれば読む。それが無ければ読まない。これが正解です。まあ、健保からのお知らせは、「おもしろくないに決まってる」という不幸な先入観がすでに先方には出来上がってますから、もともと「クソ不利な戦場」での戦いなワケです。おもしろくもなさそうなものが「長い・細かい」なら見るわけない。じゃ、おもしろくもなさそうなものが短かったら読みますか? そーゆー話です。だとするならば!!見た瞬間に「お、なんだかよさそー」とか、少なくとも「お?何これ?」と思わせる何かを準備しておかなければ、瞬殺状態は解消されないってことになりますね。それこそが、連載タイトルともなっている「食いつくプレゼン」なのかどーか、ってこと。
これ以上長くなると読んでもらえなくなっちゃうといけないんで(笑)、次回にしますね。じつは③の通知文を出してた人、一撃で大変身して多くの社員さんを受診させちゃいました。次回ご紹介します。また、岩盤層とされてた住民さんが押し寄せたという、島田市のハガキ作りについても、公開しちゃいますね。なんと島田市、ハガキの裏にも表にも健診のケの字も書かないという、意表を突いた作戦でした。お楽しみに!
※「健康経営(R)」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。
※当記事は2022年1月に作成されたものです。