特集
インタビュー/座談会 2019/05/08

【ティーペックサービスを使い倒して生還した、ある30代がん罹患社員の記録1】まさかのがん宣告とティーペックという環境(1)

今回より、ティーペック社員である花木裕介が執筆した【ティーペックサービスを使い倒して生還した、ある30代がん罹患社員の記録】をお届けします。花木は38歳だった2017年12月に中咽頭がん※ステージⅣaを告知され、標準治療(抗がん薬、放射線)を開始しました。現在は復職し、国家プロジェクトである「がん対策推進企業アクション」(厚生労働省の委託事業)の認定講師としても活動しています。
第1回目の本記事では、がんを宣告された当時についてご紹介します。(以下、本人による執筆記事です。)

※中咽頭がん…咽頭は、鼻の奥から食道までの飲食物と空気が通る部位であり、筋肉と粘膜でできた、約13cmの長さの管(くだ)です。中咽頭は、咽頭の管の中間部分で、口の上部の奥にある柔らかい部分の軟口蓋(なんこうがい)、口の奥のほうの突き当たりの壁、口蓋扁桃(こうがいへんとう)、舌の奥の付け根部分である舌根(ぜっこん)が含まれます。
<引用元:国立がん研究センターがん情報サービス
https://ganjoho.jp/public/cancer/mesopharynx/index.html

何気なくついた頬杖

2017年10月初旬、職場で会議に出席しているとき、何気なくついた頬杖からすべては始まった。

「なんだ、これ??」

首にかなり大きい腫れがある。イメージとしてはピンポン玉を一回り小さくしたくらいの大きさの腫れ。これまでこんなのあったかな。まあ、よく言う扁桃腺の腫れかな。最近、仕事も残業続きだったし、風邪の予兆かな……。

でも、何となく気になったので、妻に相談してみた。

「気になってるなら、耳鼻科行ってみなよ」

まあ、その通りだよね。自分がもし逆の立場ならそう答えるし。ちょっと面倒に思っていたので、誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。

でも、まさかここから長い長い闘病がスタートすることになるとは、このときの私は想像すらしていなかった。

日に日に大きくなる、ピンポン玉の存在感

翌週、会社を定時で退社し、勤務先近くの耳鼻科に向かう。インフルエンザの予防接種でお世話になっている、いわゆる「町のお医者さん」だ。

「はい、花木さんどうぞー」

入るなり診察室に呼ばれた。患者さんの少なさがこの耳鼻科の魅力でもある。年配の、のどかそうな先生に、状況を伝える。

先生は軽く触診をして、喉の様子を見るものの、よく分からないらしく、「うーん、風邪かなんかでしょうかね、一旦は抗生物質で様子を見ましょう」ということになった。

翌週、腫れは少し小さくはなったものの、完全になくなるにはほど遠く、さらに通院は10月いっぱいまで続いた。

私自身も、現業が忙しかったし、何より症状が全く出てなかったので、できるだけ気にしないよう、悪い方に考えないようにしていた。

それでも、一向になくなる様子のないピンポン玉の存在感は私の中で日に日に大きくなっていく。

いよいよ10月も終わりに入る頃、先生に依頼し紹介状を書いてもらい、11月13日(月)にもっと大きな総合病院に精密検査を受けに行くことになった。

先生は、「まあ、大丈夫ってことを確かめに行くのもいいでしょうね」とやはり平和そのもの。

ここでもし、私が、精密検査という選択を選ばなかったら……。そう考えると、本当に恐ろしい。

精密検査

予約日当日。会社に行く前に、総合病院に立ち寄り、精密検査を受ける。

触診から、針による組織検査と細胞診を受けたのだが、触診を境に、何となく医師の顔色が変わり、場の空気に緊張感が生まれた。

ただの腫れにしては物々しいな。

でも、大丈夫。しこりは確実に小さくなっているし、もう一つ腫れが出てきたものの、最初のものよりは全然インパクトは小さいんだから。

今日の検査では不十分な場合のことを想定し、念のため組織を切り取る生体検査の下準備として、採尿やらレントゲンなどを撮り、この日は終了した。

「あー、なんだかんだで2時間もかかっちゃったよ」

上司には少し病院に立ち寄ってきます、くらいしか言っていなかったので、帰ったら遅くなったことを報告しないと…、と思うくらいに、まだこのときは気持ちに余裕があった。

宣告当日(病院にて)

検査結果を聞く前日は、結局、あまり寝られなかった。それでも、朝は否応なしにやってくる。

病院に向かう駅の道すがら、「治療しながら〜」と書いてある「がん治療と就労の両立支援」のポスターがふとピンポイントで目に入った。なぜ今日に限って。なんだか不吉だ…。

朝9時。 

予約時間に十分間に合うよう待合室に入るも、先に年配の方が診察室に通されていく。そして、「大丈夫ですので、お大事にー」と声をかけられ診察室を出る。

この人よりも緊急度が低いということか。じゃあ、大丈夫だ。中から笑い声も聞こえる。大丈夫だ。

手に持っていた診察ナンバー123番が告げられる。ひと呼吸おいて、腰を上げる。大丈夫、大丈夫。

診察室に入ると、この前の医師が言葉なく私を見る。

そして、「花木さん、ちょっと良くない結果が…」という切り出しに、私はドキッとし怯える。

そして、医師ははっきりとこう口にした。

「のどに、5段階中4段階目のレベル感で、悪性と疑われる腫瘍が見つかりました」

「つまりは………」精一杯言葉を返す私。

「ええ、はっきり言いますね。『がん』です。かなり高い可能性で。首の方のしこりは、その腫瘍が転移してきているものと思われます」

こんなとき、よく「頭の中が真っ白になる」というけれど、私の場合は「真っ黒」になった。未来が急に四方向から閉ざされた感じ。

うなだれて、なんとか絞り出した言葉は、「マジっすか……」。

どうしよう、家族のこと、仕事のこと。なんだかとんでもないことになってしまったぞ。これ以上先生の言葉がまったく聞こえてこない。

この病院では、これ以上検査をしても、十分な治療ができない可能性もあるということで、もっと専門的な病院を紹介してくれることになった。

ということで、一旦診察室を退出。

頭の整理ができず、とりあえずスマホで「咽頭がん」を片っ端から調べる。最悪の想定は「悪性リンパ腫」だったので、咽頭がんはまったくのノーマークだ。症状は、原因は、5年生存率は…。

でもやっぱり、頭で理解しても、気持ちがついてこない。

しかし、この後、会社には行かないといけない。上司とメンバーには伝えないといけない。次の病院の手配をしてもらい、気を確かに持って、会社に向かう。

家族にはどう伝えようか。親はなんて言うだろう。今の仕事はどうなるんだ。

私はこの先、どうなってしまうんだろうか。

宣告当日(勤務先にて)

頭は混乱する一方、この日は、社内でも、上司やメンバー、一部関係者に事態を伝えることができた。

不安を隠すように、意外に冷静なもう一人の自分がいた。

治療後に体験談を発表していくというアイデアも、宣告の日にはすでに周囲に話し始めていた。

さらには、奇しくも、私の今の勤務先(ティーペック)は健康や医療関連の事業をやっているということもあり、「がん治療と就労の両立支援」の制度が整っており、医療情報や各種ネットワークもふんだんにある。これらを活用すべく、できるだけ関係者とは連携を深めていくことになった。

皆さん、びっくりしていたが、一方で最善のバックアップを約束してくれた。

(第2回『まさかのがん宣告とティーペックという環境(2)』へ続く)

【2回目以降の記事】

・まさかのがん宣告とティーペックという環境(2)
https://t-pec.jp/ch/article/293

・「がん治療と仕事の両立支援サービス」初体験!
https://t-pec.jp/ch/article/314

【著書の紹介】

がん告知から治療に至るまでのストーリーをベースに、人生の逆境を乗り越えるヒントを子どもたちへの手紙形式でまとめています。
『青臭さのすすめ ~未来の息子たちへの贈り物~』(はるかぜ書房)

花木 裕介

ティーペック株式会社 サービス企画室 マネージャー。産業カウンセラー。
2017年12月、中咽頭がん告知を受け、標準治療(抗がん剤、放射線)を開始。翌8月に病巣が画像上消滅し、9月より復職。がん判明後より、ブログ『38歳2児の父、まさかの中咽頭がんステージ4体験記! 〜がんチャレンジャーとしての日々〜』を開始し、現在も執筆中。
著書に、『心折れそうな自分を応援する方法 〜現役子育てパパでも夢を諦めない』(セルバ出版)、『青臭さのすすめ ~未来の息子たちへの贈り物~』(はるかぜ書房)など。
国家プロジェクトである「がん対策推進企業アクション」(厚生労働省の委託事業)の認定講師としても活動中。

※当記事は2019年5月時点で作成されたものです。
※医師の診断や治療法については、各々の疾患・症状やその時の最新の治療法によって異なります。当記事が全てのケースにおいて当てはまるわけではありません。